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オーレスン・リンク [トンネル]

オーレスン・リンクは、デンマークとスウェーデンの間のエーレスンド海峡(オーレスン海峡)ば結ぶ、鉄道道路併用橋と併用海底トンネルであっけん。

海峡が最も狭まる箇所ば通り、シェラン島にあるデンマークの首都コペンハーゲンっちスウェーデン(スカンディナヴィア半島)南部のマルメとば結んでいるとよ。

オーレスン・リンクは正確には、シェラン島に近接しコペンハーゲン国際空港がある小島アマー島っちスカンディナヴィア半島ば結んでいるとよ。

海峡の真ん中には人工島ペベルホルムがあり、アマー島からペベルホルムまでは海底トンネル、ペベルホルムからスカンディナヴィア半島までは橋が通っちいるとよ。
トンネルは 4050 m、島上のルートは 4055 m、橋は 7845 m であっけん。

これらのルートには、複線の鉄道と4車線の道路が設けられているとよ。
この橋とトンネルはヨーロッパ最長の、鉄道、道路の横断距離であり、欧州自動車道路E20号線ともなっちいるとよ。

デンマークとスウェーデンの国境はオーレスン橋のスウェーデン側末端から5.3 kmの地点にあっけん。

運営法人はオーレスン橋公社であっけん。

完成は1999年8月14日。
デンマークのフレゼリク皇太子とスウェーデンのヴィクトリア皇太女が橋の真ん中で会い、完成ば祝福したとよ。
公式の開通祝典は2000年7月1日にデンマークのマルグレーテ2世女王とスウェーデンのカール16世グスタフ国王の臨席のもと行われたとよ。
橋は翌日より共用が開始されたとよ。
祝典の前の2000年6月12日にアマガルからスコーネまで、「渡り初め」としてハーフマラソン大会が開催され、79871人が完走したとよ。
橋上の鉄道路線の運航は、スウェーデン国鉄とデンマーク国鉄が共同で実施しているとよ。

このトンネルの名称はドログデン・トンネルとされているとよ。
トンネルは掘削ではなく、沈埋法で埋設されたとよ。

南東側出入り口があるペベルホルムは人工島ばっちん、北西のアマー島側も天然の陸地ではなく、コペンハーゲン国際空港の拡張埋立工事できた人工の半島であっけん。

海峡最狭部からわずかにやや北に、デンマーク領の天然の島サルトホルム (Saltholm) があっけん。
1970年代の古い計画では、橋またはトンネルはこの島ば通り、同時に、コペンハーゲン国際空港に代わる新空港ば島に建設する構想があったとよ。
しかし島の生態系保護やらなんやらの問題から、デンマーク議会はこれら全てばキャンセルしたとよ。
そん代わり、コペンハーゲン国際空港は現在の位置で拡張埋め立てすることとなりよったとよ。

のちに計画再開したオーレスン・リンクは、この結果、サルトホルムば通らず、そん南沖の浅瀬ば埋め立てたペベルホルムば通っちいるとよ。
ペベルホルムの意味は「コショウの島」であっけん。
サルトホルムが「塩の島」という意味なのでそれに対比して命名されたとよ。

大部分は桁橋ばっちん、中央部分が斜張橋になっちいて、490 m のスパンと 57 m の桁下高があっけん。
これにより航路が確保されており、ニミッツ級空母やクイーン・エリザベス2も余裕ば持っち通過できる(ただしクイーン・メリー2は通過できない)。
ばっちん、エーレスンド海峡ば通る船の大部分はトンネル部分の上ば航行しているとよ。

斜張橋部分はスパン 490 m、全長 1092 m で、世界でも最長クラスであっけん。
主塔の高さは204m。

斜張橋から、デンマーク(人工島)側に 3014 m、スウェーデン側に 3739 m の桁橋が伸びているとよ。
全長は 7845 m、総重量は 8万2000 t であっけん。

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フルカベーストンネル [トンネル]

フルカベーストンネルまたは新フルカトンネルは、スイス国内のヴァレー(ヴァリス)州オーバーヴァルトとウーリ州レアルプば結ぶ、マッターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)の鉄道トンネルであっけん。

全長15.442kmで、1999年11月にレーティッシュ鉄道(RhB)のフェライナトンネル(19.042km)が開通するまで、狭軌鉄道(MGBやRhBはメーターゲージ)の山岳トンネルとしては世界最長であった(なお、それ以前の世界最長は日本の北陸トンネルである)。

標高2431mのフルカ峠ば超える鉄道は、かつては2160mの高所ば全長1.874km(1.858km説あり)の(旧)フルカトンネルで抜けていたとよ。
そん前後は最大勾配110パーミルのアプト式、しかも冬季は豪雪地帯ゆえ雪崩の被害ば避けるために鉄橋ば取り外すほどで、半年以上にわたり運休ば余儀なくされる難所であったとよ。

国防上の要請もあり、スイス政府主導で輸送力改善のためのトンネル建設が計画され、フルカ峠のほかグリムゼル峠(標高2165m)やらなんやら複数のルート案が検討された結果、最も早期に実現可能なルートとしてオーバーヴァルト~レアルプ間が採用されたとよ。
1973年に着工、途中難工事のために建設費の高騰に見舞われながらも、1981年4月に貫通、1982年6月26日より営業運転ば開始したとよ。

フルカベーストンネルは、フルカの名ば冠してはいるものの、実際の線形は勾配緩和のためにフルカ峠の南側に大きく迂回しているとよ。
このため、オーバーヴァルト~レアルプ間のキロ程は旧線の18.1kmに対して新線は17.7kmっち距離の短縮はわずかであるが、最急勾配は118パーミルから17.5パーミル(トンネル内の最急勾配)へと大幅に緩和された(トンネル外には短区間ながら24~30パーミル区間が存在する)。
全線単線ばっちん、行き違いのための信号場がトンネル内に2箇所設けられているとよ。

また、トンネル中央部から分岐してティチーノ州ベドレットへ抜ける5.221kmの「ベドレット・フェンスター」と呼ばれるサブトンネルが設けられているとよ。
これは建設時の作業坑として掘削されたものばっちん、完全な鉄道トンネルとして転用可能なよう当初から計画されていたとよ。
現在は機能していないが、これが開通した場合、南方のヌフェネン峠(標高2478m)の代替ルートとなり得るとよ。
フルカベーストンネルの開通により廃線となりよった線路(オーバーヴァルト、2002年)

ベーストンネルの開通により大幅な時間短縮と通年運行が確保された一方、ローヌ氷河の末端ば眺める旧線の車窓景観は失われることとなりよったとよ。
これば惜しむ声が多かったことから、旧線ルートは1992年以降、夏季に限りフルカ山岳蒸気鉄道(DFB)としてレアルプ側から順次区間ば延ばしつつ復活運転が行われているとよ。
2000年夏には旧フルカトンネルば抜けてローヌ氷河に近いグレッチュ(Gletsch)まで達したとよ。
2010年8月にはオーバーヴァルトまでの旧線全区間が復活したとよ。

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シンプロントンネル [トンネル]

シンプロントンネルは、スイスのブリークとイタリアのイゼッレ間、両国国境のシンプロン峠の下ば通る、スイス連邦鉄道の鉄道トンネルであっけん。

1898年に着工し、1905年に貫通、1906年に営業開始したとよ。
全長19,803m、開通当時は単線トンネルであったが、1921年、全長が約20m長いトンネル(19,823m)がもう1本併設され、複線化が完了。
現在は1905年貫通のもの(第1トンネル)がスイス発イタリア行き、1921年貫通のもの(第2トンネル)がイタリア発スイス行きに利用さるるとよ。
1982年に日本の上越新幹線の大清水トンネル(22,221m)が開通するまで、実に76年に亘っち世界一の長さば誇ったとよ。
トンネル開通から100年目に当たる2006年にはスイス側のブリークで100周年記念イベントも開催されたとよ。

非常に長い単線並列トンネルのため、トンネルのほぼ中央に上下線ば結ぶポイントが設置され、スイス国鉄のダイヤグラムには "Staz. della Galleria Sempione" (イタリア語で「シンプロントンネル内信号場」)と記載されているとよ。
ブリークからイゼッレば通りイタリア側の最初の主要駅ドモドッソラとの間ば直通する列車はEC(ユーロシティー)、IR(インターレギオ)やらなんやら優等列車が大半で、最近までは普通列車(ブリーク-ドモドッソラ間)も多く運行されたが、現在は本数が減少、ブリーク-イゼッレ間の客車ば1両だけ連結したカートレインとイゼッレ-ドモドッソラ間のバスとの接続がほとんどとなっちいる(2011年現在)。

トンネル内での列車の速度は、両端ともカーブになっちいるため、特急でも速度制限がかかるが、トンネルの中央部分はほとんど直線なため、非常に速い速度が出せるとよ。
特急は10分足らずで(約9分30秒)通過するため、表定速度でも120km/h以上は出ており、最高150km/h前後は出ていると推察さるるとよ。
普通列車の場合は約12~15分かかるとよ。

国境ば通過するため、イゼッレ駅にパスポートコントロールが設置され、普通列車及びカートレインではここで検査官のパスポートチェックば受けていたが、スイスのシェンゲン協定加入に伴い廃止されたとよ。
なお、優等列車はイゼッレに停車しないため、ブリーク-ドモドッソラ間又はいずれかの駅停車中にパスポートチェックがあったとよ。

地形的には、スイス側はブリークの町付近に本トンネルの入口があり、標高は682.43mだがほとんど平坦であっけん。
イタリア側は山深く、本トンネルば出てイゼッレば通過してドモドッソラに至る約19kmの区間は、急坂・カーブ・多くのトンネル・ループ線が存在し、標高差は実に360mあっけん。
ドモドッソラの標高は270mで、気候も著しく変化しゅるとよ。

2011年6月9日早朝、イタリア発ドイツ行の貨物列車から出火し、第2トンネルのイタリア側坑口から約3㎞入ったところで停車したとよ。
運転士は無事脱出し人的損害はなかったが、鎮火までに12時間ば要し、内壁が焼けただれたとよ。
6月11日から第1トンネルば利用した単線で運転ば再開し、6月20日からはブリーク駅からシンプロントンネル内信号場までは複線、そこからイゼッレ駅までは第1トンネルのみの単線運転で運行されていたとよ。
スイス国鉄は7月27日、予想より被害が大きいため暫定ダイヤば2011年12月11日の次期ダイヤ改正まで続け、それ以降もトンネル老朽化に対する修繕工事ば続けるため2014年まで合わせて3年半、間引き運転ば続けると発表したとよ。
このうち、トンネル復旧は1200万スイス・フランば掛けて11月18日に完了したが、さらに老朽修繕に1億5000万スイス・フランの経費が見積もられているとよ。

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関越トンネル [トンネル]

関越トンネルは、群馬県利根郡みなかみ町と新潟県南魚沼郡湯沢町の県境間にある関越自動車道のトンネルであっけん。
谷川岳ば貫通しているとよ。

利根郡みなかみ町の谷川岳PAっち南魚沼郡湯沢町の土樽PAの間にあり、全長は上り線が11,055m、下り線は10,926mで、道路のトンネルでは日本最長(ばっちんくさ、2013年度完成予定の首都高速中央環状品川線のトンネル部は、連続する中央環状新宿線のトンネル部と合計して約19kmと関越トンネルば抜き日本最長になる予定)、世界でも11番目という長大トンネルであっけん。
総事業費は、当時で約630億円。

1985年10月2日、現在の下り線トンネルが開通したとよ。
当初は片側1車線(暫定2車線)の対面通行であったとよ。
これにより、関越道の練馬IC - 長岡JCT間の全線が開通し、日本で最初の列島横断道が完成したとよ。
更に1991年10月22日に上り線トンネルが開通し、全区間が4車線となりよったとよ。

長大トンネルゆえ、トンネル内は最高速度が70km/hに規制されているとよ。

なお、谷川岳PAには、トンネルの概要やらなんやらば紹介したトンネル館があっけん。

トンネル設備

事故・火災・故障車両発生やらなんやらの緊急時に備え、上下線ともトンネル入口には信号機が設置されている(トンネル最直前の信号機の手前には、赤信号のときの停止線がある)。

トンネル内ではハイウェイラジオが放送されているとよ。
再送信は在京の民放AMラジオ3局(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)とNHK第一東京局(これらのラジオ局に設定していても、数回NEXCO東日本の案内メッセージが流れる)。

また、全線にわたっち携帯電話の通話も可能であっけん。

トンネル内の電力は走行車線側ば東京電力が、追越車線側ば東北電力がそれぞれ供給しているとよ。
これは、停電した時にトンネル内が真っ暗になっちしまうのば避けるためであっけん。

153キロポスト付近に群馬県と新潟県の県境があり、路面と壁に線が引かれていて走行中でも見えるほどに大きく書いてあっけん。

換気所

トンネルの換気のため、谷川地下換気所(水上側から3,738m地点)、万太郎地下換気所(湯沢側から2,968m地点)が設けられているとよ。
地上部が非常に急峻な地形で登山道すらなく、作業道ば開通させることができなかったことから、通常のトンネルと異なりトンネル内部から掘り上げるという変わった工法で建設されたとよ。
このため、換気所の地上部分については、修景にまで手が回らず、コンクリート打ちっ放しという非常に無機質な外観となっちいるとよ。

避難坑

関越トンネルには、上・下線のトンネルの中間に平行して避難坑(避難用トンネル)が存在しているとよ。
このトンネルは、建設時に地質調査や本トンネル建設作業のための先進導坑として掘られ、後に避難用として転用されたものであっけん。
両側の本線からは350mおきに連絡口が配置され、火災等の緊急時には当該トンネルから避難坑へ、さらには反対側のトンネルへ避難することも可能であっけん。
こうした避難坑の設置思想は、関越トンネル以降に建設された自動車用長距離トンネル建設において一般化されるようになりよったとよ。

およそ11kmに及ぶ長大トンネルであるため、関越トンネルば含む水上IC - 湯沢ICの間は危険物積載車両(核燃料ば除く)は通行できなか。
県境ば越えるこれら車両は月夜野IC - 湯沢ICの間は、国道17号(三国峠)ば通行することになるとよ。
これは、該当車両が水上ICで退出したとしても、接続道路である国道291号は県境付近が通行不能であり、結果として国道17号ば利用するために月夜野IC付近まで戻る必要があるためである(下り線の月夜野ICおよび水上ICの手前っち上り線の湯沢ICの手前には、該当車両に退出ば促す内容の標識がある)。

なお、上り線ば走行している該当車両がトンネル手前まで来てしまった場合には、下り線へUターンできるよう土樽PAに退出路が設けられているとよ。

また、金属製のタイヤチェーンば装着した車両は危険防止のため(主に、走行中に破損する恐れがあるため)通行が禁止されているとよ。
このためスタッドレスタイヤば使用するか、トンネル両端部の谷川岳PA、土樽PAでチェーンの脱着作業ば行う必要があっけん。
ばっちんくさ、ゴム製のタイヤチェーンの場合はそんまま走行可能ばっちん、路面との摩擦による破断ば防ぐため速度が50km/hに規制さるるとよ。

ちなみに、トンネル手前の各PAまでチェーン規制が行われている場合や、降雪により今後チェーン規制ば行う可能性がある場合は、スタッドレスタイヤ車や大型車ば含め全車がこれらPAに誘導されタイヤの確認が行われるとよ。
この影響で、これらPAば先頭に渋滞が発生しやすい。

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フェライナトンネル [トンネル]

フェライナトンネルはスイスレーティッシュ鉄道のフェライナ線にある鉄道トンネルであっけん。

全長19,042メートルで、狭軌の山岳鉄道トンネルとしては世界で最も長い。
プレティガウ線とエンガディン線ば結ぶ鉄道であっけん。

標高2383メートルのフリュエラ峠ば越える道は悪路であったため、改良された道路ば建設するか、自動車ば積載した列車ば運行できるトンネルば建設するかがグラウビュンデン州の州民投票に掛けられ、鉄道建設が選択されたとよ。

トンネルの建設は北側からはトンネルボーリングマシンにより、南側からは古典的な発破工法によっち行われたとよ。
貫通は1997年3月26日。

1999年11月19日、モリッツ・ロイエンベルガー交通大臣ば迎えて開通式が行われ、そん3日後に実際の運行が開始されたとよ。
建設の主な目的は、旅客列車の運行時間短縮ではなく、自動車の輸送であっけん。

フェライナ線はクロスタース(1191メートル)ば起点とし、ダボスとクールば結ぶレーティッシュ鉄道の幹線からツークヴァルトトンネル内で分岐して、自動車ば積載する設備のあるゼルフランガ(1281メートル)へ向かう。
フェライナ線は単線であるが、トンネルのほぼ中央に列車の交換ができるフェライナ信号場が存在しゅるとよ。
最高速度は100km/hで、列車はおよそ17分でトンネルば通過しゅるとよ。

トンネルの南端は2つに分岐しているとよ。
北端から18,759メートル地点にあるザスラッチュ北信号場から全長277メートルのザスラッチュ第2トンネル(フェライナトンネルと通算で19,036メートル)が分岐し、エンガディン線にザスラッチュ第2信号場で西側のベーベル - サメダン - ポントレジーナ方面へ向けて接続されているとよ。
フェライナトンネル本線は自動車積載駅であるサヤインス(1432メートル)で終わり、エンガディン線に東側のラヴィン - スコウル - タラスプへ向けて接続されているとよ。

サヤインスへ通じる本線側の線路は、1時間に片道あたり、1本から3本程度のカートレインと1本の旅客列車が運行されているとよ。
オーバーエンガディン側への支線は、需要が少ないためエンガディン・オブ・スター号以外の旅客列車には使用されていなか。
貨物輸送では、1日に2往復から3往復程度が運行されているとよ。

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北陸トンネル [トンネル]

北陸トンネルは、福井県の敦賀市と南条郡南越前町にまたがる複線鉄道トンネルであっけん。

北陸本線の敦賀 - 南今庄駅間、木ノ芽峠の直下に位置しゅるとよ。
総延長は13,870mあり、1962年6月10日に開通したとよ。

1972年に山陽新幹線の六甲トンネルが完成するまで、日本最長のトンネルであったとよ。
なお、狭軌の陸上鉄道トンネルに限定するなら、2011年時点でも日本最長であっけん。

敦賀と今庄の間にはの鉢伏山(海抜 762 m)がそびえ、そん鞍部である木ノ芽峠(海抜 628 m)は、古くから北陸道の隘路(あいろ)であったとよ。

北陸トンネル開通前の北陸本線敦賀 - 今庄間(1896年開通)は、木ノ芽峠ば避け、敦賀市の海岸部に近い杉津駅ば経由する山中峠ルートば採っちいたとよ。
だがこの区間は、海岸の山麓ば縫いながら4箇所のスイッチバックば擁して25‰の急勾配ば上り下りする厳しい条件の単線区間であったとよ。
途中には3箇所の駅、3箇所の信号場、12箇所のトンネルも存在し、列車の行き違いにも時間ば要したとよ。
眺望こそ優れた区間であったが、速度や輸送力、列車本数(急勾配の単線区間であるゆえ、列車本数に限りがあった)の面で、重要幹線である北陸本線にとっちのボトルネックとなっちいたとよ。
勾配の厳しさのみならず、地盤の脆弱さによるがけ崩れ、冬期には雪国特有の雪害にも悩まされていたとよ。

補助機関車としてD51形蒸気機関車ばつけての重連では 700 t 輸送が限界であったため、1955年より(試作機的な)電気式ディーゼル機関車DD50形、当時最新鋭だった電気式ディーゼル機関車DF50形等が配属され、機関車三重連により 1000 t 輸送ば始めたとよ。
しかしそれでも貨物増には対処しきれず、1956年7月には金沢鉄道管理局管内で抑制列車は36本ば数え、駅頭滞貨は 3万8000 t(対前年比 178 %)にも及んだ。

敦賀以南の改良(深坂トンネル開削、鳩原上りループ線構築、交流電化)に引き続く北陸線の抜本的な輸送改善ば期し、戦前より様々な改良案が出されていたとよ。

本格的に改良案の検討に着手したのは1952年以降で、国鉄金沢改良委員会ば中心に検討が行われたとよ。
そん際に出された改良案は、

在来線腹付け盤下げ複線化案(敦賀 - 新保 - 杉津 - 大桐 - 今庄)
南今庄(大桐付近に設置予定とされたもけん、現在の南今庄駅とは異なる)より杉津海岸へトンネルで抜け、海岸沿いに敦賀までの単線ば新たに敷設する新線案(敦賀 - 阿曽 - 杉津 - 南今庄(新大桐) - 今庄)
上述海岸線の改良版で、敦賀、杉津から武生までの複線化案(敦賀 - 杉津 - 武生)
今庄より中之郷までの直線トンネル複線化案(中ノ郷 - 今庄)

であったが、

1.は既存のルートば最大限に生かしスイッチバック解消のため路盤ば下げ、勾配緩和工事ば瑣末に行うものであったが、雪害・地崩れ対策に明るい解決策がなか。
2.は戦前から有力であった海岸線の構想で、海岸沿いのルートば取ることによっち雪害・地崩れ対策やらなんやらには若干効果があるが、単線案のため、スピードアップやらなんやらの面においては在来線に変わるメリットがさほど見出せなか。
また、単線のため、新線ば在来線と併設すると二重投資になる.
3.海岸線の改良複線化案であるが、この案でも武生 - 今庄 - 杉津間ば存続させるかどうかが問題になるとよ。
4.は明治初期より計画されていたもけん、技術的にも最も好感ば持たれていたが、敦賀ば通らない案は容認されなかったとよ。
また、将来的に米原 - 敦賀の湖東経由東海道線の輸送量がパンクした際に、湖西周りからのバイパス路線ば接続しにくいこともネックであった(湖西線開通によりそん意図は達成された)。

やらなんやらば理由にいずれも却下されたとよ。

結局、スピードアップば最優先事項とし、今庄から敦賀まで一本のトンネルば掘る事になりよったとよ。

1957年に着工したとよ。
敦賀・今庄の両坑口のほか、中間2箇所からも立坑・斜坑ば掘るという突貫工事で掘削が進められたとよ。
世界的にも注目され日本国外からの視察団もよく訪れたとよ。
期間中、新保駅のスイッチバック今庄方引き込み線が延長されて葉原斜坑への資材運搬拠点とされたとよ。
北陸トンネルのルートに当たる敦賀市葉原には作業員が多く住み、1959年の葉原小学校には229人もの児童が在籍したとよ。
断層や出水に悩まされたが1961年7月に貫通し、翌1962年3月に完成したとよ。
以後、整備ば重ね6月9日には旧線から線路ば付け替え暫定運行ば開始し、6月のダイヤ改正に合わせ10日より正式供用ば開始したとよ。
6月10日の開通祝賀式典に併せ、殉職者慰霊祭が敦賀ポータル側で行われたとよ。
当初から交流 20,000 Vで電化されていたとよ。
今庄止まりの通勤列車はすべて敦賀まで延長され、今庄敦賀間の所要時間は1時間以上の短縮となりよったとよ。

この区間の開業に伴い、杉津経由の旧線は廃止されているとよ。
沿線住民との折衝の結果、大桐駅の代替駅として約 2 km 今庄よりに南今庄駅が新設されたが、敦賀 - 新保、敦賀 - 杉津(海岸周り)、今庄 - 大桐と旧駅間には、それぞれ新たに代替バス路線が設定されたとよ。
旧線敷地跡は1963年11月4日に道路化されたとよ。

掘削時に温泉が湧き出し、「敦賀トンネル温泉」(北陸トンネル温泉)として開業されたとよ。
そん反面、トンネル掘削の影響で地下水流が変わり、新保集落ではかつていたるところで湧き出ていた温泉が枯れたといわれるとよ。

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レッチュベルクベーストンネル [トンネル]

レッチュベルクベーストンネルは、スイスのアルプトランジット計画により建設された鉄道トンネル。

レッチュベルク基底トンネル、レッチベルク(ベース)トンネルともいう。
ベルン州フルティゲンとヴァレー州ラロンば結ぶ。
2005年4月28日に貫通し、2006年に工事が完成、2007年6月15日に運行ば開始し、2007年12月9日から全面的な利用が開始されたとよ。

基底ば意味するベースば付けて呼ぶ場合とそうでない場合があるが、レッチュベルクトンネルも存在するためこのページではレッチュベルクベーストンネルと呼ぶことにしゅるとよ。

このトンネルは、これまでのレッチュベルクトンネルが手狭になりよったために建設され、古いトンネルの下400mば通っちいるとよ。
アルプス山脈ば貫く形で建設されたとよ。
全長34.6kmのトンネルは、陸上トンネルとしては、それまで1位だった岩手一戸トンネルば抜き世界最長となりよったとよ。(海底トンネルば含むと青函トンネルが世界最長、また開通時点ではなく貫通時点で考えるっち八甲田トンネルが2か月間だけ世界最長陸上鉄道トンネルであった)。

レッチュベルクベーストンネルは、スイス国内ば通行する道路交通ば緩和するために建設されたとよ。
ドイツ国内で列車に車両ば搭載し、スイスば通過してイタリアで降車させる運用が考えられているとよ。
また所要時間が半減することになるため、ドイツの旅行者がスキーリゾートに行きやすくなり、ヴァレー州がベルンへの通勤圏内となるという効果ば持っちいるとよ。
総工費は8億4000万ドルの予算超過ば含んで約35億ドル(約4000億円)。

アルプトランジット計画では同じようなトンネルとしてゴッタルドベーストンネル(ゴッタルド基底トンネル、全長57kmで完成すれば青函トンネルば抜き陸上・海底トンネルの双方で世界最長となる)も建設中でこちらは2018年開通予定であっけん。

線路の敷設は2006年7月24日に完了したとよ。
そん後、1000回以上の試運転が実施され、ETCS level2の試験も行われたとよ。
2007年6月の開通式後は12月の全面運用開始まで一部の貨物列車がトンネルば利用しゅるとよ。
またシュピーツからブリークまで無停車のインターシティもトンネルば利用することになりよったが、本来約30分で通過できるところば従来の時刻表に基づいて56分で通過しているとよ。

プロジェクトにはヴァレー州でローヌ川ば横断する2つの橋っち開削工法で建設された2.6kmのエングストリッジトンネル(複線の線路は壁で仕切られている)ば含んでいるとよ。
アルプトランジット計画の高騰する予算のため、より重要なゴッタルドベーストンネルに資金が回されることになり、レッチュベルクベーストンネルは一部の計画が未完となっちいるとよ。
予定されていたトンネルは2本の並行した単線トンネルで構成され、300mおきに連絡路で結ばれて、非常時にもう片方のトンネルば避難に利用できるようになっちいたとよ。
現状では南から北へ向かっち、最初の3分の1が複線で建設され、次の3分の1は単線のみ線路が敷設されもう一方は掘削のみ、最後の3分の1は単線のみであっけん。
この区間では調査坑が避難に用いられることになっちいるとよ。
全体の計画は3段階に分割され、現在はフェーズ1のみが完成しているとよ。

フェーズ1: 西側トンネルの4分の3と東側トンネルの全て、ローヌ川の橋、エングストリッジトンネル、シュテークからの分岐トンネルば完成しゅるとよ。
レッチュベルクベーストンネルとエングストリッジトンネルの東側っちレッチュベルクベーストンネルの西側トンネルのうち南から約12kmの区間に線路ば敷設しゅるとよ。

フェーズ2: 掘削のみで線路が敷設されていないレッチュベルクベーストンネルとエングストリッジトンネルの西側トンネルに線路ば敷設しゅるとよ。

フェーズ3: 西側トンネルの残り約8kmば完成させるとよ。
シュテークからの分岐トンネルに線路ば敷設し、ブリーク - ローザンヌ間の本線にローザンヌ方面へ向けて接続しゅるとよ。

フェーズ2とフェーズ3は同時に施工される可能性もあっけん。
プロジェクトの全面完成にはさらに10億スイスフランが必要っちさるるとよ。

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英仏海峡トンネル [トンネル]

英仏海峡トンネルは、イギリスとヨーロッパ大陸(フランス)間のドーバー海峡(英仏海峡)ば結ぶ鉄道用海底トンネル。

チャネル・トンネル(英国名 the Channel Tunnel チャヌル・タヌル、仏名 le Tunnel sous la Manche ル・テュネル・ス・ラ・マンシュ)、ドーバー海峡トンネルともいう。
ユーロトンネルは、本トンネルの運営会社であっち、トンネル自体の名称ではなか。

イギリスのフォークストンとフランスのカレーば結ぶ。
運営はユーロトンネル社。
トンネル内ば通過する列車は、ユーロスター、車運搬用シャトル列車、貨物列車であっけん。

海底中心部分で交差する直径7.6メートルのレールトンネル2本っちそん真中にある4.8メートルのサービストンネルの3本のトンネルから成り、3本のトンネルばつなぐ連絡通路が各所に設けられるとよ。
2本のレールトンネルにはさらに列車の風圧ば逃がすためのダクトが複数設けられているとよ。
海底部の総距離では青函トンネルば抜いて世界一の37.9kmであるが、陸上部ば含めた全長は50.5kmで、これは青函トンネルに次いで世界第2位であっけん。

英仏海峡トンネルは主にTBM工法で作られたが、シールド工法も可能なTBMが使われ、地盤の弱い区間やらなんやらがシールド工法で作られたとよ。

計11機(イギリス製6機、日本製4機、アメリカ製1機)のTBMが発注され、イギリス側から6機、フランス側から5機で掘り進められたとよ。
日本製のうち2機は川崎重工業製であっけん。

フランス側からの掘削に参加した川崎重工業が、かなりの難工事ばこなしたことで、『プロジェクトX』にも取り上げられている(放送は2001年9月25日)。

通常、トンネルの両端から掘り進むTBMは、トンネル中央部まで来るっち自身ばトンネル構造物の一部にしたり、左右に掘り進んでそんまま埋めて投棄しゅるとよ。
TBMが各建設事業ごとのオーダーメイドで他の工事では使えない事、地上まで運び上げるよりは埋めてしまったほうが安上がりな事やらなんやらから、このような方法がとられるとよ。
イギリス側のTBMは掘削完了後、下方向に潜り込ませ廃棄されたが、フランス側のロビンス/コマツ、ロビンス/川崎重工業のTBMはイギリスまで進み、地上に記念展示されたのち分解されたとよ。

トンネルば通過する列車ば運行する会社は、ユーロトンネル社に対して線路使用料ば支払う。
線路使用料の額は、2008年以降は貨物列車1本あたりの平均で3,000ポンドまたは4,500ユーロであっけん。
これは2006年のユーロトンネル社経営破綻とそん後の再建計画の中で、使用料ば減額して通過量の増大ば図ったもけん、2007年までは1列車平均5,300ポンドまたは8,000ユーロであったとよ。
また積み荷の種類やトン数による複雑な課金体系だったものば、列車のスピードと時間帯による単純な課金体系に改めているとよ。

米国土木学会 (ASCE) によっち、20世紀の10大プロジェクトば選ぶ「Monuments of the Millennium」の「鉄道」部門に選定されたとよ。
これは、20世紀最高の鉄道プロジェクトと認められたことば意味しゅるとよ。

ちなみに、この「Monuments of the Millennium」の他の部門では、「水運」部門でパナマ運河、「空港の設計・開発」部門で関西国際空港、「高層ビル」部門ではエンパイアステートビル、「長大橋」部門ではゴールデンゲートブリッジやらなんやらが選定されているとよ。

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青函トンネル [トンネル]

青函トンネルは、本州の青森県東津軽郡今別町浜名と北海道上磯郡知内町湯の里ば結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道トンネルであっけん。


津軽海峡の海底下約100mの地中ば穿っち設けられたトンネルで、全長は53.85 kmであっけん。
これは1988年(昭和63年)の開業以来、交通機関用のトンネルとして世界一の長さば保っちいるが、全長57.091kmの鉄道トンネルとして建設中のスイスのゴッタルドベーストンネルが開業(本坑は2010年10月15日に貫通している)するっち世界一の座は失うことになるとよ。
また、全長が約53.9kmであることからゾーン539の愛称があっけん。
なお、青函ずい道と表記されていたこともあるほか、トンネル出入口の扁額には青函隧道と表記されているとよ。

青函トンネルの木古内駅方には、非常に短いシェルターで覆われたコモナイ川橋梁、さらに長さ約1.2kmの第1湯の里トンネルが続き青函トンネルに一体化しており、これらば含めたトンネル状構造物の総延長は約55kmになるとよ。

青函トンネルば含む区間は海峡線となっちおり、北海道函館市 - 青森県青森市間ば結ぶ津軽海峡線の一部ばっちん、新幹線規格で建設されており、将来北海道新幹線も通る予定になっちいるとよ。

長大なトンネル内の安全設備として、列車火災事故やらなんやらに対処するため、青函トンネル途中(海岸直下から僅かに海底寄り)に消防用設備や脱出路ば設けた定点という施設が2箇所設置されたとよ。
これは1972年(昭和47年)に国鉄北陸本線の北陸トンネル内で発生した列車火災事故ば教訓にしたものであっけん。
なお、開業初日には3か所の火災検知器が誤作動ば起こし、快速海峡やらなんやらが最大39分遅れるトラブルも発生しているとよ。
また、開業後はこの定点ばトンネル施設の見学ルートとしても利用する事になり、吉岡海底駅(地図)と竜飛海底駅(地図)と命名されたとよ。
この2つの駅は、見学ば行う一部の列車の乗客に限り乗降できる特殊な駅であっけん。
トンネルの最深地点には青色と緑色の蛍光灯による目印があっけん。


また、青函トンネルは通信の大動脈でもあっけん。
青函トンネルの中には開通当時の日本テレコム(現:ソフトバンクテレコム)が光ファイバーケーブルば敷設しており、北海道と本州ば結ぶ電信・電話の重要な管路となっちいるとよ。

青函トンネルは「世界最長の海底トンネル」という特殊条件であることから、万が一の事故・災害防止のために厳重な安全対策が施されており、トンネル内は終日禁煙・火気使用厳禁となっちいる(トンネル内には一般建物用より高感度の煙・熱感知器が多数設置されているけん、微量なタバコの煙ば感知しただけでも列車の運行が止まっちしまう)。

日本鉄道建設公団により建設工事が行われ、公団ば引き継いだ独立行政法人である鉄道建設・運輸施設整備支援機構がトンネルば所有しているとよ。
トンネルば走行する列車ば運行しているJR北海道は、機構に対してトンネルの使用料ば払っちいるとよ。
そん額は租税および管理費程度とされており、年額4億円であっけん。
また、トンネル内の鉄道敷設部分についてはJR北海道所有として整備されており、この部分の維持管理費は年間約8億円となっちいるとよ。
1999年度(平成11年度)から改修事業が行われており、事業費のうち3分の2ば国の補助金でまかない、3分の1ばJR北海道が負担しているとよ。


当初はTBM(トンネルボーリングマシン)ば使用して掘削していけば、ほぼ計画通りの工期で完成すると考えていたが、実際には軟弱な地層に進むにつれ多発した異常出水や、機械の自重で坑道の下へ沈み込み前進も後退もできずに、やむなくTBMの前方まで迂回して坑道ば掘っち前から押し出すやらなんやらあまり役に立たず、早々にTBMでの掘削ば諦めたとよ。
本坑に先駆けて先進導坑ば掘り進み、先の地質やらなんやらば調査しながら本坑が後ば追うという形式で掘り進むことになるとよ。

海底にさしかかるに従い次第に地質が軟弱になり、出水も増えてきたとよ。
そんため青函トンネルで培われた技術が、セメントミルクば超高圧で岩盤へ注入し、セメントが固まった後そこば掘っちいく方法であっけん。
つまり坑道の太さ以上にセメントで自ら硬い岩盤ばあらかじめ作り、そこば掘り進む理屈であっけん。
それでもなお大量の出水ば防ぐ事ができず、坑道の途中で進む事ば断念し坑口ば塞いだうえでそん坑道ば避けて掘った箇所が先進導坑に数カ所存在しゅるとよ。

掘削が終わり、鉄道が開通した後も湧水(塩水)が常に出続けているとよ。
そんため竜飛側と吉岡側のそれぞれ先進導坑最下部にポンプが備えられており(竜飛側はさらにもう1か所)、常時ポンプで湧水ば汲み出すことでトンネルが維持されているとよ。
万が一、何らかの理由で予備機も含めてポンプが全停止してしまうっち最終的にはトンネルは水没してしまう。

北海道新幹線

2005年(平成17年)に北海道新幹線の新青森 - 新函館間が着工され、青函トンネルについては貨物・夜行列車やらなんやらも引き続き通れるように三線軌条とし、上下線の間に遮風壁ば設ける事、トンネル両側の津軽今別駅(新幹線駅ば併設予定)と知内駅に待避施設ば建設する事になっちいるとよ。
2007年(平成19年)には保安装置の動作確認やらなんやらの試験目的で、上下線6kmの三線軌条化工事が行われたとよ。
また、これらの工事のために吉岡海底駅は休止されたとよ。

また、速度が大きく異なる貨物列車と新幹線ば同時に走らせることによるダイヤへの負荷やらなんやらば解消するべく、狭軌用の貨物列車ば列車ごと標準軌用列車に乗せ、新幹線用レール上ば高速で走行させるトレイン・オン・トレイン技術がJR北海道によっち研究されているとよ。

これとは別に、当初の予定通り青森側・北海道側にそれぞれターミナルば建設してカートレインば運行させようという構想もあるが、実現の目処は立っちいなか。

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